エモ捨て場

言葉にされない気持ちの墓場

眠り姫

「地図に従って来てください。×××××というマンションです。オートロックなので1405を押してください。」

 

「部屋は鍵を開けておきます。玄関すぐのところにバスタオルが置いてあります。そこで脱いでください。」

 

「その場所から左に入ると扉があります。開けると寝室です。挨拶抜きでエロく犯してください。」

 

 

僕はそれらのメッセージを何度も繰り返し読んだ後、緊張しながら扉を開けようとしていた。
玄関の明かりだけが灯っており、薄暗い空間のなか、なんとなく部屋の間取りが分かった。
服を脱ぎ、下着一枚だけになって、寝室に入る。部屋の中心にはベットがあり、そこに全裸の男が横たわっていた。
それは、古代の宗教で神に捧げるための生贄を思わせた。彼を犠牲にすることでどんな願いが叶えられるだろう。
暗くて顔はよく見えない。肌に触れると温かかった。それでも彼は反応せず、まるでぬくもりだけが通った人形にも見えた。人間に似せて忠実に作られた人形。
しかし触れていくうちに下腹部の突起だけは固くなり、ゆっくりと脈打ち始めた。
眠り姫の童話を思い出した。姫と王子の邂逅は、このように穢れた交わりだったのかもしれない。
薄い唇にキスをしても彼は目を開けなかった。

 


彼はこうして待つことが恐ろしくはないのだろうか。
例えば、僕が金属バットを持って登場し、部屋の整理された本棚や、あまり使われていないであろう食器棚をめちゃくちゃに殴り始めたら?
木っ端微塵になった陶器の破片や家具の木片の散らばった部屋で全裸の彼に何ができるだろうか。
あるいは、無防備な彼をロープで縛りあげ、首元に刃物を当てながら「これから一週間かけてお前の身体をこのナイフで少しづつそぎ落としていく。」などと言い始めたら?
集団で押しかけて家中のものを持って盗んでしまうこともありえるかもしれない。
しかし、リスクを取ってまで、性欲を満たしたいと思える彼の欲望は少し羨ましかった。自分を捧げてまで叶えたい欲望があるなんて素晴らしいことじゃないか。
僕にそうした危険を冒してまでやりたいことがあるか。叶えたい願いも、実現したい夢もないじゃないか。
僕は彼の少し弛んだ皮膚を触りながらそんな風に思った。
そうして目が慣れてきたころ、彼は動かない人形であることをやめて、僕の股に顔を埋めたり、「気持ちいい」だとか「やばい」だとかの言葉を発するようになった。

 


行為が終了すると、彼は電気をつけた。彼の顔の皺が思ったよりも深かったことにギョッとした。
彼のことは掲示板で見たことがあり、ずいぶん昔の写真を使っていたことは知っていた。
ほとんど写真とは別人だが、昔はモテたんだろうなと思わせる面影がそこにはあった。

 


「普段休みの日にはどんなことをしてるんですか?」僕は聞いた。
「えー。部屋の片づけとかで終わっちゃうかな。家事とか苦手なんだよね。」
取り止めなのない会話をして、笑顔を浮かべる彼を見ると歳を重ねて、何年も昔の写真を自分だと偽ってまで「暗闇で知らない誰かに犯されたい」なんて欲望をもった人間には見えなかった。
僕は気持ち悪いと思うと同時に、彼が一人の人間であるということがなぜか少し愛おしいとも思った。僕はきっとさっきの性行為に、あるいは自分に酔っているのだろう。
「家近いんで今度料理とか持ってきますね」
僕はもう訪れることのないであろう「今度」をやすやすと口にだして彼の家を出た。
日が暮れてこの街も互いの顔なんて見えない暗闇になろうとしていた。