エモ捨て場

言葉にされない気持ちの墓場

うるわしきとも

その人のことが好きだ。顔も可愛いと思う。彼も僕のことをまだ好いてくれているのだと思う。でも僕たちはもう歯車が噛み合わなくなってしまった。一緒にいてもこれ以上、展望がないということに気づいてしまった。また同じことを繰り返すのだと分かってしまった。


小竹祝(しののはふり)と天野祝(あまのはふり)は「善友(うるわしきとも)」つまり肉体関係を持った親友だった。小竹祝が病気で亡くなったのを嘆き、天野祝が後を追った。生前の希望通り二人を合葬すると、神様がそれを天津罪と考え、昼間でも暗くしてしまった。「阿豆那比の罪」が何を意味するのかはっきりとは分からないが、神主を合葬する(祝は神主のことを示す)行為が儀式的に良くなかったとも言われている。神が男色を咎めたという説もある。その後、小竹の祝と天野の祝の埋葬場所を別々にすることで昼夜の混沌が取り除かれた。これが古代日本における最初の同性愛についての記載だと言われている。


ごっくんして欲しいというハウリング。ごっくんはしたくないけど、口の中なら。そう言ってメッセージすると住所が送られてきた。ラグビーとかやってたらしくむっちりした筋肉。でも思ったよりも小さな体つきで、小綺麗な感じだった。ただただモノのように扱われた。ピストンに苦しくて涙が溢れた。喉近くに射精され、鼻奥にまでその液体が広がるを感じた。結局ザーメンも少し飲んでしまった。ペッする?子供に話しかけるようにそう聞いてきた彼に頷きだけで返して湧き出た粘液も一緒に洗い流す。帰りに近くのコンビニで吐いた。


太平洋赤道の南にあるメラネシアの島々に住む部族には少年を一人前の男にするためのイニシエーションとして、少年の口やアナルに青年男子の精液を注入する風習があった。少年たちは9歳か10歳に達すると、家族と離れ女人禁制の「男の家」に入る。毎夜7〜8人の男たちにバックで犯されたり、アナルセックスに加えて鋭い竹のナイフで少年の身体に傷をつけ、その傷口に精液を塗りこんだ。メラネシアでは精液は少年の体内で自然に生成される物質ではなく、大人の男から少年に伝達する必要があった。赤ん坊が母乳を飲んで育つように少年は聖液を飲むことで逞しい体つきになり、ペニスも大きくなると信じられていた。