エモ捨て場

言葉にされない気持ちの墓場

盆踊り

祭囃子が聞こえる。太鼓の音。どこか懐かしい、でも聞いたことのない歌謡曲。商店街を通り、駅に向かう途中の神社では夏祭りが開かれていた。浴衣を着た人々が太鼓ののったやぐらを囲みながら手を上げてさげて仰いでゆったりとした動きで踊っている。露店では綿飴やたこ焼き、水風船やお面が売られていて懐かしい気持ちになった。

元々盆踊りは性的乱交の場だったのだという。男と女は踊りの最中に好みの相手を見つけ、そのまま暗闇に身を隠して交わった。面で顔を隠しながら、お互いは浴衣の柄などで確認しあって逢引きを楽しんだ。

遡ると古代日本では若い男女が近所の山に登り、気が合ったらその場で性的関係を結ぶという風習があったらしい。西暦500年ごろにはそうした風習は、やがて歌の掛け合いによって性的関係を結ぶ歌垣になった。大勢の見物人の前で歌垣は晒され、歌垣をみるために遠路はるばる訪れる人もいたのだという。さらに奈良時代にはそれに足を踏む動作が加わった踏歌へ、踏歌の歌が洗練されていき平安時代には和歌が生まれた。一方、歌垣の歌が省略された形で雑魚寝が、歌が強調された形で念仏踊りが流行した。

盆踊りを横目にそんなことを考えながら、僕は××へ向かった。そのクラブでは×××ナイトというイベントが開催されており、男たちは皆布面積が少ない下着を身につけていた。尻の部分が大きく空いたケツワレ、肩から吊るすようにかけられたマンキニ、身体に巻かれたレザーのベルト。競パンにネコミミ。クラブゾーンに入ると数人の男たちがパンツの先端を擦り合わせている。すれ違うたび視線を絡ませる。「変態」とタトゥーの入った男の人はリズムに合わせて踊っている。乳首にピアスのついた男の人が僕のパンツに手を触れる。乳首を触れ合う。それが当然だというように唾液を交換し合う。微笑んで別れる。そういったことはそこかしこで行われており、爆音で流れるクラブミュージックに音が空気を振動させる波であることを感じながら×××ルームに入ると満員電車さながらの人口密度で足の踏み場がないくらいの人で、唾液と汗と体臭のむせ返る、人々の熱狂でサウナのような熱さだった。ある人はテーブルに乗せらっれて変わるがわる掘られてあんあん声を漏らし、蝋燭型のランプが揺らめきながらその姿を映し出した。ある人は抱き合いながら愛を囁き、ある人は何本ものチンポに囲まれながら見られていることに興奮してよだれを垂らしながら喜んだ。外では筋肉隆々の男たちがくねくねとリズムをとりながら踊る。ドクンドクンと低音のビートが流れる。
太古の昔から人間は変わっていないのかもしれない。西暦500年だか600だかの昔から歌垣で乱れた、室町時代に盆踊りでやりまくった、こんなに科学は進歩して、立派な法律を築いても、その人たちと僕たちはそんなに変わりない。それは人間の本質だからなのか。僕は今日人間を発見した。この世界にはなんでも起こりうるし、人間には本当はどんなルールもどんな倫理もないのだと思い、人間というのはこんなにも何にも縛られず自由なのだと感動しながら交わった。