エモ捨て場

言葉にされない気持ちの墓場

ブリキの木こり

【命綱】
「あんまり早く歩かないで」
ホテル街を上る坂道で彼はそう言った。
丸山町はこんな時期だからか思ったよりも人が少なかった。その日はとても寒くて、煌々と輝くネオンが吐いた白い息を照らした。
「この前スキー行ったら転んじゃって、靭帯切っちゃったんだ」
ゆっくりと歩く彼に「大丈夫ですか?」と振り返った。

「今日はここでもいいですか?」
大きな洋風の作りのラブホテルとリゾート風なラブホテルの間にある、こじんまりとしたその入口をくぐる。
「どの部屋もそんなに変わらないかな…」とつぶやきながら、部屋を選んだ。
エレベーターは薄暗い。外は寒かったのに、彼の手に触れると温かかった。
廊下へ出ると僕たちの入る部屋にその番号のランプが灯っている。
扉を開けるとまたすぐに扉がある。小さな玄関には自動精算機が置かれている。

 

ホテルの一室、そこには大きな鏡があった。それみて彼は「バリアフリーだね」と笑った。

彼は福祉関係の仕事についているのだという。
鏡には手すりがついている。お辞儀のように前のめりになる人と、その人の腰を持ち掴む人の二つの人型が描かれており、それはまるで交通標識のようだった。
「これを見れば外国人でも、耳の聞こえない人でも使い方が分かるね」

 

彼の左指には結婚指輪が嵌められている。シルバーのシンプルな指輪。きっとそれは彼を正常な世界へ繋ぐ命綱だ。
ずるいなぁ。帰る場所があるなんて。こどもがいて、奥さんがいて、普通の顔して生活してるんだ。
彼の指を咥えて、歯を立てその指輪を引き抜いて飲み込んでしまう。という想像をする。彼はどんな顔をするだろう。

 

僕は彼の柔らかい内側に固いそれを押し込んで、鏡に書いてあるマークそっくりのことをし始めた。
くしゃくしゃにした顔から八重歯のぞいていた。嬉しそうな苦しそうな苦悶の表情に僕は興奮して腰の動きを速くした。


行為が終わると、お風呂に入った。湯沸かし器が壊れているのか蛇口から出るお湯は少しぬるかった。
お風呂の横にあるボタンを押すと、浴槽についたライトがゆっくりと七色に光を放った。
もう一つのボタンを押すと勢いよく水が浴槽に噴き出した。出てくる水は冷たくてすぐにボタンを止めた。
「ビックリさせてごめんね」
僕は彼を後ろから抱きかかえるように浴槽に浸かっている。暗い浴室の中をぼんやりとしたライトが光ると幻想的な光景だった。
お互い何も話さずに、お湯が生暖かいせいで二人の身体が一体となったようだった。
僕は彼の手を取り、自分の頬に当てた。愛おしい気持ちになった。


「やっぱりご飯食べに行かない?」
ホテルを出て分かれたあと、彼からメッセージが届いていた。
「ごめんなさい、もう電車乗っちゃったんです。また今度ぜひ行きましょう。」
僕は嘘をついて、そう返信した。

 

 

【歯並び】
彼の部屋はアパートの一階にあった。部屋は物で溢れていて、床には足の踏み場がなかった。
壁には漢字で書かれた習字の半紙だとか、乃木坂のポスターだとか、元カレらしき若い男の子と映った写真がパズルになったものだとかが飾られていた。
彼は小学校の教師なのだと言う。本棚には受験の参考書や少年漫画や小説だとかが並んだり積みあがったりしながら雑多に並んでいる。
彼は暑がりで、冬なのにパーカーの中は汗ばんでいた。彼の部屋は彼の体臭や汗が染みこんでいるみたいだった。
服を脱ぐと白いぴったりしたビキニがエロかった。

彼はあまり歯並びが良くないようで、フェラしてもらうと歯が亀頭にあたり、すこし痛かった。
「歯並びが悪い人は育ちがよくない」誰かがそういっていたのを思い出した。
こんなにフェラが下手な人も久しぶりだと思った。僕たちはチンコを重ね合わせてしごいてほぼ同時にイッた。

 


【言葉責め】
「ほらどこが気持ちいいか言ってごらん」
彼は饒舌だった。しかしその饒舌さは嫌いではなかった。
「乳首感じるのか?俺も乳首感じちゃうぜ」
ほとんど感じない僕の乳首をつまんだり撫でたりしながら、頭が少し冷静な気持ちになってしまう。
「あ~チンポ気持ちいいです」
チンポなんて普段は恥ずかしくて口に出さない言葉を僕は臆面もなく軽々しくと口にすると彼はにやけていた。
「寸止めして、寸止めしたときの顔を見せて」
キスをしようとすると彼は顔を遠ざけた。唇からペロリと舌を出す僕を、もっとその顔みせてよと彼は言う。


【神様と機械】
行為が終わった後、彼のアパートの近くに有名なカフェがあるということで僕たちは出かけることになった。
カフェの近くには神社があり、藤の花が咲いていた。青い空に紫色が良く映えた。
淀んだ池には鯉が泳いでいた。突き出した岩の先で亀が甲羅を干している。水辺には音もなく鷺が佇んでいた。
千両箱へ財布から取り出した五円玉を投げ入れた。鐘はなく、あたまの片隅で覚えていたあいまいな拍手と礼をした。
「何かお願いしましたか?」僕は聞いた。「なんか資格試験に合格しますようにってね。ここは学問の神様だから」
僕は彼氏でもない男の人とセックスまでして神社にまで来て手を合わせて、何を願ったらよいのか分からず頭のなかがごちゃごちゃしている間に何も祈らず参拝を終えてしまった。

僕には天罰が下るだろうか。
好き勝手やって天罰を受けるのならば、それも良いのかもしれない。いや、そもそもこんなこと、何でもない。罪でも裏切りでもない。
僕はただ一人の僕の恋人だけ愛している。それはこの世界の、ただ一つの不変の、揺らがない真実だ。
だからこそ、僕は不貞を働こうが、許されるのではないか、という傲慢な考えがちらつく。
味気のない毎日、何をしても感情が動かない。僕を悲しませるもの、怒らせるもの、喜ばせるものは何もない。
快楽だけは、ただ自分がここにいるということを思い知らせてくれる。


カフェで飲んだコーヒーは焙煎が香ばしくとても美味しかった。
席で向かいあう彼を見ながら、僕は彼の柔らかい唇や、少し弛んだお腹、聡明な眉や僕より大きい手のひらの長い指先を愛おしく思った。
この人と付き合えたなら僕の人生はどのようなものになるだろうと、そんな考えても意味のないことを想像した。


「わたくしといふ現象は 仮定された有機交流電燈のひとつの青い照明です(あらゆる透明な幽霊の複合体)」

宮沢賢治の詩の一節を思い出した。
身体を重ねて心地よいと感じるのは、気持ち良いと感じたり、好きだと言ってしまいたくなるのはただの生体反応だ。
あぁ、そうか僕は機械だった。そんなことも忘れていた。頭に浮かぶ思い出も感情もただ脳に浮かぶほんの一瞬の電流・シナプスに過ぎないのだった。
オズの魔法使いに出てくるブリキの木こりのごとく、温かいハートがない。だからまともに人を愛せないのだ。
僕は立ち上がり、駆け出した。彼は驚いたように僕の顔を見た。

 

神社の鳥居をくぐり、参道を走り手水舎を横目に橋を渡り拝殿までたどり着いた。
財布を逆さにすると小銭がじゃりじゃりと音を立て、クレジットカードやポイントカードはバラバラと落ち、お札がゆっくりと舞った。
「神様、僕を人間に変えてもらえませんか?」