エモ捨て場

言葉にされない気持ちの墓場

面接試験

その日、僕は半年に一度行われる昇級試験の面談を受けていた。僕はこの昇級試験にすでに二回も不合格になっていた。
二回も経験した試験にも関わらず、答えを用意したはずの質問にも、話し出す度に言葉はどんどんバラバラになって、違う、僕が言いたいのはそんなことではないのに、と思ったときにはもう手遅れだった。


言葉の端々は「えー」、とか「うーん」、とか苦し紛れの言葉にまみれて、手先が不器用な人が扱う針仕事の糸みたいに、あちこちへこんがらがって、最後にはダメになってしまう。
膝の上に置いた拳は汗でびしょびしょになっていった。


面接官は最後に言った。
「君はさ、模範的な回答をしようと思いすぎなんだよ。面接で話して欲しいのは、正しい回答なんじゃなくて君が普段やってることなんだよ。君の話には具体性がないよね」
そうですよね、でも仕方がない。だって僕は実際そんなに大した仕事なんて何もやっていないから、話せることなんてないんだよな。
だからと言って、頭が悪いから嘘も吐けず、見栄も張れず僕はこの面談で、ただ自分の無能さを証明するだけだった。
前回の面談でも、同じような惨めな気持ちになった。だけど、何の努力もせず、ただこの日を迎えてしまった自分が悪いのだった。

 

 


同じ日の夕方、僕はエロ目的の出会い系サイトで知り合った男と会う約束をしていた。
「ぜひ近いうちにご飯とか行きたいです」そう連絡したのは僕で、この言葉が意味するのは、「ご飯を食べて、もし良ければセックスしませんか?」だった。
写真は見ていたけれど、30代の男性・身長と体重以外のことはほとんどプロフィールも知らず、お互いやりとりもしなかった。
待ち合わせた百貨店の入口で彼は電話をしていた。
初めまして、と挨拶すると僕たちはすぐに居酒屋に入り、お互いの仕事や趣味について紹介しあった。
彼は数年前に独立し、今は自営業で仕事をし、多くの取引先と毎日多忙な日々を送っているようだった。

 


「最近何か楽しかったことありました?」
ビールを飲みながら彼は聞いてきた。
「えー。楽しかったこと?うーん…。何だろう、特にないかな。」
僕は曖昧に言葉を並べたり、すこし唸ったりしながら、へらへらと笑顔でそう答えた。
大きな器のなかにはお刺身が少しずつ並べられており、その一つをつまみ上げて口へ運んだ。
「楽しかったことないんですか。それは悲しいですね。じゃあ、何が楽しくて生きてるんですか?」
何が楽しくて…?僕は彼のきっと悪気のない質問にぐっと胸を抉られる気がした。
カウンター席の目の前では、大将が周囲のスタッフにぐちぐちと小言を言っていた。こういうの見るとご飯が美味しくなくなるんだよな。
「別に何も楽しいことはないけど、なんとなく生きてる、かなー」
僕は相変わらず、明るく、久しぶりに飲んだお酒のせいで少し麻痺した頭で、にやけながらそう答えた。
「俺はいつも自分のやりたいことをやっているから、明日死んでもいいと思って生きてるよ。会社も辞めて独立したし、買いたいものも買ってるし。」
「へー、すごいなー。僕もね、別にやりたいこととかないから、いつ死んでもいいかもしれない」
彼は僕の話した自虐めいた言葉に、一緒になって笑ってくれた。

 

 

彼は持ち家があり、10年付き合っている彼氏とそこで一緒に暮らしているのだという。
「エッチがないのが辛いかなぁ」彼はそう言った。
「どんな人がタイプですか?」僕は聞いた。
彼は僕の空になったグラスを見るとすぐに新しく注文してくれた。
「その人を笑顔にしたいと思えるような人かな」彼ははにかみながら答えた。
それは好きな人が好き、みたいな答えになっているようでなっていない言い方だと思ったけれど、きっと笑顔が可愛い人が好きなんだろうなあ。
そういえば、僕のプロフィール写真も笑った顔だった。映りの良い写真に彼は騙されてくれたのかもしれない。
「僕も、5年くらい付き合ってる彼氏がいるんですよー。でも最近どうしたらいいか分からないんですよねー。彼は仕事を辞めて、何もせずアマゾンプライムでずっとドラマとかモヤさまを見てます。そんな彼とこれからどうしていけばいいんでしょうね。距離が少しづつ広まっていっているのを彼も感じてるみたいなんですよね。今日も彼から明日「自分のことどう思っているのか聞かせて欲しい」って言われちゃいました」
「それに彼は友達もいないし、親とも仲悪いし、自分と別れたらどうなっちゃうかなって思うんですよね」
僕はずっとヘラヘラした笑顔で、口調で、自虐的にそう話した。
「別れればいいんじゃない?寂しいだろうけど。それはさ、いらぬ情ってやつだよ。自分の幸せも相手の幸せも奪ってるよ」
彼は淡々とそう言った。
僕ははぐらかすような気持ちで空になったグラスにまた口を付けた。
「えー。そうかなぁ。でも5年も付き合ってると、一緒にいるのが当たり前すぎて好きとか嫌いとか幸せとか不幸とか、そんなのどうでもよくありませんか?」
彼は隣に座る僕の顔を覗き込み、じっと目を合わせるのだった。僕は笑顔を浮かべながら、何かを見透かされるのが怖くて視線を泳がせた。
「まぁ、俺と会ってる時点で答えはもう出てると思うけどね。」

 

 


「明日、頑張ってね」
彼はそう言って、最後に握手をしてくれた。そして足早に帰る駅へと歩いていった。
僕たちはお互いに名前を知っていたけれど、呼び合わなかったなと思い返した。
僕は道路の低い鉄柵に腰掛けながらぼんやり車が走っていくのを眺めた。
僕もさ、毎日やりたいことをやって、それが仕事だと思える努力をしなければいけなかったのだろうな。一本の筋道の通ったちゃんとした人生を、送りたかったんだけどな。好きな人と向かい合って、話ができれば良かったな。きちんとした人を好きになれれば良かったな。

僕にはできないことが多すぎた。

あーあ、エロいことしたかったな。僕は彼が催した面接試験にも不合格だった。