エモ捨て場

言葉にされない気持ちの墓場

蜃気楼


何度も思い返す。僕は自分のことを真っ当な人間だと勘違いして生きてしまっていたのだった。

 

 

 

「結婚おめでとうございます」
僕は悲しかったけれど、笑顔でそう言った。綺麗な教会で大勢の人が集まり、新郎新婦のドレスとタキシードが白く輝いていた。
幸せそうな友人の姿を見て、本当に祝うべきことだとも思った。

 

大学時代、彼とは一番多くの時を過ごした友人だったと思う。彼は本を読むのが好きで、ちょっとひねくれた変わり者だった。
僕たちはそうしたハズレもの同士だから、気が合ったのかもしれない。もうどんなことを話したかはよく覚えていないのだけれど、彼となら一晩中笑って語り合えた。

 

披露宴のテーブルにはメッセージカードが置かれていた。
「今日は来てくれてありがとう。大学に入って唯一腹を割って話せるのが〇〇だったかな。斜に構えて周りの人たちを罵り、若かったあの日の気持ちを全部聞いてくれたのがお前だったぜ。これからも変わらずよろしく。」

 

いいな。S君はちゃんとした大人になれて。変わることができて。世の中と折り合いをつけていきることができて。
営業マンになって、良い会社で働いて、君はきっともう世の中に対して斜に構えたりなんかしないんだろうね。
それが大人で、当たり前で、これから幸せな家庭を築いて、可愛い子どもができて好きな人と一緒に年老いていくのだろう。
君は大学ではハイデガーを研究していたけれど、もう、そんな本は読まないんだろうね。幸せな人間に哲学なんていらないもの。
卒業後、S君と会って何度か話したけれど、どこか噛み合わない感じを少しずつ感じていた。
これからも変わらずよろしくと書いてくれたけれど、僕はもうS君の人生の登場人物にはなれないんだろうね。

 

ひねくれ者ではあったけれど、面倒見が良い、友達の多かったS君の結婚式には多くの友人が集まっていた。
ご両親や結婚相手の親族の方も、話す言葉でとても立派な人だと分かった。

 

久しぶりに会った大学の友人たちを見て、僕は、僕の中にあった死んでしまった自分の一部を蜃気楼のように見た気がする。
僕は変わることができなかった。あるいは変わり果ててしまった。そもそも、何か重大な勘違いをしていた。
S君と一緒にいて、大学の友人と過ごして、自分が普通の人生を歩めるのだと思ってしまっていたのだった。
これから結婚もなく、子どもが生まれることもなく、それに僕は仕事のやりがいも見失ってしまった。
まるで大きな海原に一人みたいな感じ。本当に進むべき道とか信じるものとか、何も分からないし、自分が何をしたいとか、何が好きなのかも分からない。
普通の家庭を築くことが幸せとか、孤独がなくなるとか、そんなもの幻想なんだって分かってる。
ないものねだりばかり。僕はまだ恵まれてる、まだ大丈夫、まだ…。
S君も僕たちの中に、以前の自分の姿をどこか思い出しただろうか。そうだったら良いな。
同性愛がなんだとか、生まれた境遇がどうとか、自分の努力不足とか、愛とか平和とか幸福とか、あの、本当に気持ち悪いし、ダサいよね。
なんかだかすごい泣けてきた。僕の隣には涙を拭いたティッシュの山があって、感傷に浸る自分をまた気持ち悪いと思った。