お墓

行き場のない言葉や気持ちの墓場です。

明日も雨が降ればいい

シーソーのように揺れる毎日
幸せと自由を天秤にかける
快楽と幸福は違うんだよ

ある人のことを思い出した。
何か重い病気にかかってしまって、薬の副作用か何かで頭がおかしくなってしまった。
一度お見舞いに行ったのだけれど、よだれを垂らしながら、目は虚ろで、足だけがベットの上を這うように動いていた。
見ていられなかった。
それからその人は命には別状なく退院したのだけれど、思考回路が幼児のようになってしまっていたようだった。
僕は一時期その人にお世話になっていたから、悲しかったのだけれど、何もできずにただ見ているだけだった。
でも、何もできなかったのは僕だけでなく両親もだし、その家族もだった。
いや、なにか努力を尽くしたのだろうか。分からない。

彼女は何の病気だったのだろう。
知能が退行してしまうような副作用のある薬なんて存在するのだろうか。


同性愛者というのはなぜ存在するのだろう。
生物というのは須らく自分の種を存続するために生きている。
人間は子供を産むことで、遺伝子は不死だということもできるかもしれない。
同性愛というのが社会の均衡に必要な役割だから、というような説も聞いたことがあるけれど、本当だろうか?
子どもを産まずに、お互いの性器を弄り合うだけで何の生産性も持たない性行為。
やはりある種の欠陥商品のようなものなのだろうか。
あるいは、何の意味もないのだろうか。

生物が個々に違うというのは、、
いろいろな環境へ対応するためのバリエーションなのだという。
寒いのに強い人、暑いのに強い人、とか体質でも様々あるけれど、ある程度ランダムに個体を作りだすことで、
一つのなにか巨大なインパクトにも耐えられるようにしているらしい。ある種は死滅しても、ある種は生き残るように少しづつ変化を持たせているのだという。
しかし、そうすると同性愛もなにかそうした種の保存のためのバリエーションの一つなのだろうか。


テレビで見たのだけれど、50代の男性が女装をきっかけに自分のなかにある
女性への変身願望に気づいてしまい、それからキャバクラ嬢のように露出度の高い服で、女言葉を使って生活するようになったってドキュメンタリー。
悲劇なのは、彼には奥さんがいて、奥さんは彼のことを愛しているし、彼も性的な対象は女性のままで、彼女のことを愛しているということ。

奥さんは可哀想だったなぁ。何年も連れ添った旦那だからいきなり離れるわけには行かないし。でもどこか出かけるときは、女装した老年男性がギリギリのミニスカートをはいて隣を歩く。
旦那が女装に目覚めてしまったからというより、自分の信じてきたものが意味の分からないものに侵食され壊されてしまったということが、
本当に絶望だなと思った。奥さんへの愛情や世間体よりも、「自分が女性として生きる」ということを選んでしまうなんて滑稽で惨めなことなんだろう。


でも、実際に人の心そんな風に急に変わってしまうものなんだろうな。
朝は機嫌が悪い、とか誰にでもよくあることだけれど、
人間の心って流動的で、形があるようで、そんなものは実はなくて、ある日メルトダウンしてしまうようなものなんだろう。
僕は僕の好きな人が、そうなってしまうことが、本当に怖い。

しかし、自分自身のことで言えば、どこかそんなふうに、地球の磁場が逆転するかのような、
大きく心を揺さぶる出来事を求めているような気もする。

みんな、自分を壊したいと思っているのだろうか。みんな、結局もう大切なものなんてなくて、自分がどうなってもいいと思ってるんだね。
なにもない空虚な退屈よりも、どんなつらい目にあってもいいから刺激的な地獄が欲しいのか。