お墓

行き場のない言葉や気持ちの墓場です。

書を捨てよ、地獄におちろ

この世の全てを呪いたい。

 


なぜ僕は他人に興味がないのだろう。
興味、関心がないということ。
今隣で働いている人の出身地や趣味さえ知らない。
別に知ろうとも思わない。

 

 

高校生のころ、友達いたのだけれど、今連絡を取り合うような人は誰もいない。
自分が好きになるひとは自分と同じ趣味の人が良いと思う。
でもそれってきっと、自分をわかってほしいことの現れなんだと思う。
そのくせ、他人には興味がないのだから、タチが悪い。
自分自分自分。
自分のことしか頭にない。
あーでもそれってみんなも同じ?同じなんですか?

 

 

ずっと一人でもいいのにたまに友達が欲しいと思うのってなんなのだろう。
そう思ってしまう自分はみじめだ。

 

 

 

感情の起伏がない。とても毎日穏やかだけど、それは心が死んでいるからだと思う。
仕事ではまったく、何も感じない。感じないようにしている、というのと、
感じなくなってしまったというのが半分半分。

音楽や小説、漫画もそれぞれ好きなのだけれど、今まで救われたのだけれど、
それさえも心の底からは信用していないという気持ちがある。
中途半端、勇気がない、何も信じていないんだよね。
だから何も成し遂げることはできないのだ。

 

 

 

小説って昔は好きだったのだけれど、仕事をすると忙しくてなかなか読めなくなって、
それが本当に自分に必要なものなのかと思ってしまうようになってしまった。

僕は昔から本が好きだったのだけれど、それは親に褒められるためだったのだろう。
しかし、親が望むのはそうした子供ではなかった。
父は息子とスポーツを楽しみたいと思っていたのだろうけれど、
僕は少しもスポーツなんてできやしなかった。
勉強は少しはできたのだけれど、それはあまり親の望む姿ではなかったのかもしれない。
読書をすると先生に褒められる、とか頭が良くなるってそういうことってくだらないけれど、
僕はそこにそこだけに執着してしまっていたのかもしれない。

本を読むことが何かの役に立つ、プラスになる、良い印象になるから単に好きだっただけ。

 

 

 

大学でも、本を読むということは結局なにか、レポートとか書くときにそこに引き寄せることができるから便利だった。
でも、今は仕事関係以外のの本を読んだって、そこから何かに繋げることはできなくなってしまった。
いや、自分の生活が豊かになるとか、ただ単に楽しいから読むということでよいのだけれど、
でも僕は心が貧乏なので、自分の体験をなにかに繋げたいと思ってしまう。
しかし、僕はまったく人生の目標や計画がないのに、どうして人生にムダだとかプラスだとかそういったことが判断できるのだろうか。

好きな仕事、とか、自分の好きなものに関わっていれば、自分が体験した芸術はその参考にできたりするけれど、
僕はそういった仕事を辞めてしまってまったく別の仕事についてしまってわけである。

 

 

 

小説家とか、文章を仕事にできる人になりたかったな。
でも、小説に希望を持っているわけではない。それで自分が救われることができれば、それならそれが良いのかもしれない。
いや一方で小説が売れない時代にそんなことしても、生計を立てられるわけでもない。
また本が好きな人というのはみんな何か本を読むということを偉いと思い込んでいるようないけ好かないやつばかりだ。
退屈でつまらないやつばかりだ。それに学生時代はともかく、自分は仕事を始めてから、
本を読みたいと思って、本を読んで救われたことがあっただろうか。ないだろう、本を読むということには体力が必要なのである。
それは一種のぜいたく品なのだと思う。

 

自分は何も作れない。自分は何かを表現できるような価値のない人間だ。

 

価値のない人間だ。