お墓

行き場のない言葉や気持ちの墓場です。

ポケットモンスター「キミにきめた!」無償の愛・友情・マクガフィン

 

ポケモンの新作映画「キミにきめた!」を見てきました。
単に子供向けのアニメではなく、自分の人生を考えさせられるような、
映画として素晴らしい作品でした。

 

以下ネタバレ注意

 

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 【ピカチュウ
改めてキャラクターの可愛さにやられました。
触ったらふにっと柔らかそうな質感とか、ちょこまかと動きまわるネズミっぽい感じとか、
チョロっとした舌とか、そういう細部に神が宿っているような表現!!
どこにも可愛さ、愛らしさが溢れてて堪らなかった!悶絶級の可愛さだった。

さらに、ピカチュウやサトシの顔がアップになるシーンでは、
そのたびに彼らに見つめられているような、対面で話しかけられているような感覚に襲われて、ドッキとする。
あるときはサトシとして、あるときはピカチュウとして、彼らと一体となってどちらにも感情移入をしてしまった。
というか、ピカチュウオニスズメを追い払って二人で地面の横たわるシーン、あれなんかもうほとんど
ラブシーンじゃないかと思う。頬を舐めるところなんて、キスと同じなんじゃないかと!!

 

 

【サトシ】
サトシって、あの自信満々でいつも勝気な感じが苦手で、今まであまり好きになれなかった。
幼いころは、ずっと絶対に友達になれないタイプだとと思ってた。
でも、今回のサトシはいつも一生懸命でひたむきで、走り続けていて、純粋で曇りがなくて…サトシのことをずいぶん好きになってしまった。
大人になったから、少し俯瞰して見れたのかもしれないけど、サトシも子どもで強がっている部分があったんだということに気づいた。

サトシとピカチュウの出会いは偶然だったのだけれど、その偶然をまるごと受け入れてピカチュウを愛するサトシの姿は大袈裟かもしれないけど美しかった。
というか、あのメインビジュアルの跪いたサトシとピカチュウがホウオウを見上げているポスター本当に大好きで大好きで
映画を見たあとその気持ちが高まってすぐに池袋のポケモンセンターに行ってグッズを買いに行ったのですが、本当にあのビジュアル最高じゃないですか。
夕暮れとキラキラ輝く伝説のポケモンと、腕も足も細くて小さくて「あ、やっぱりサトシってまだ10歳の子供なんだ」って幼さと儚さ、
そこに寄り添うピカチュウの手。たまらなく、ぐっときた。

 

 

【ホウオウ】
ホウオウというポケモンは初代のアニメ一話からでてくるポケモンなのだけど、今までそのあと何も触れられずに
物語が進んで、今やっと取り上げられたという感じだけど、ただそれでもホウオウというのが、
何なのか?伝説の存在で虹の勇者っていうのが何なのか?っていうことにはそんなに意味がないというストーリーの構造が
少し面白かった。物語を進める上でのこれはマクガフィンMacGuffinなのだと思った。
だから今回の映画に出てくる伝説のポケモンはホウオウじゃなくても、例えばルギアでもよかったし、ミュウが誰か勇者を選ぶとかそんな感じでもよかったわけで、
ホウオウがある意味空白を持った存在になっているのもとても興味深かった。

 

 

【サトシとピカチュウの関係】

ピカチュウはサトシが欲しいポケモンじゃなかった。
前日に見ていたフシギバナカメックスポケモンバトルをみて、
その進化前ポケモンであるフシギダネゼニガメどちらにしようと
ワクワクしながらオーキド博士の研究所の階段を上るのだけれど、
そこにはどちらのポケモンもいなかった。

キミに決めたって言葉がよく出てくるのですが、実際サトシはいろいろなものを吟味して選んでいるというわけではなくて、
自分との偶然の出会いを大切にしてそれを受け入れて愛している。
それこそが、重要なのではないかと思う。

サトシは、ピカチュウのことを強いから・可愛いから好きなんじゃなくて
「自分と出会ったから」という、その運命自体を受け入れて愛しているのだと感じた。

「キミは俺のことが嫌い?俺はキミが好きだよ!」ってセリフがあるのですが、
あんな無条件に誰かのことを全肯定して受け入れるセリフってすごい。

でも、人を好きになるということ・誰かと関係するということは
こうやって、偶然の出会いをありのままに愛することなのかもしれないと思った。
好きの理由というのは、結局は後付けで、本当は理由なんて何もないのかもれない。
学校や会社だって、膨大な数の人のなかから本来何の縁もない他人同士が、
本当に偶然的に出会って友達になったり仲間として働いたり、恋に落ちたりする。
好きに理由はないのだと思う。

サトシはピカチュウのことを、自分の全てを投げ打ってでも守ろうとする。
そこには、きっとだだ純粋に好きという気持ちだけがあるんだろうと思う。

そういえば、フシギバナカメックスのシーンはミュウツーの逆襲の冒頭シーンを使っていたりして
そういうオマージュを入れてくるのもポケモン世代の心をくすぐりますね。

 

 


【友情】
サトシとピカチュウの関係は友情、友達なのだと思うのだけれど、
友情ってなんなのだろうと最近よく考える。恋愛とも違う、というか恋愛と友情の違いってなんだろうか。
セックスしたと思うかそうじゃないかってこと?じゃあ、セックスしたいと思った相手との好意は友情じゃないのか。
社会人になったら、多くの人は家庭を持って友情よりも大切なものができるでしょ。
それに大人になったら何か利害抜きでの人間関係ってなかなかできないじゃないか。
友情ってなんのためのものなのだろう。友達ってなんなんだろうと思いませんか、みなさん。
友情、友達昔から友達を作るのって苦手だった、今だって友達って少ないし、
だから羨ましかった。サトシとピカチュウの関係が。
恋愛とか利害関係を抜きにしてお互いのことを信じて一緒に居られる関係が羨ましかった。
僕にはそういうものって、ないのかもしれないと思った。

サトシは「世界一のポケモンマスター」になりたいって言うけど、
それは「世界一強いポケモントレーナー」という意味ではなく、
世界中のポケモンと交流して仲良くなりたい、と言っていた。
それってなんて純真なんだろうか。

 

 

【旅】
そういえば、一瞬の夢の中でポケモンがいない世界、色のないモノクロの学校
そこでサトシはこんな会話をする。
「あの海の向こうに何があるのかな?」
「同じように町があって人が暮らしていて森があって…どこも同じだよ」
「でも、たとえ同じだとしても自分の目で何があるのか確かめてみたい」
ピカチュウと一緒なら、どこまでも行けるような気がするんだ!」

人生ってもう、ある程度大人になれば、自分がどんな人生を歩むのか大体見えてくる。
自分が何ができるのか、できないのかとかが分かってきて、
たいてい予想外のことなんてなくて、面白いことなんて何もなくて、人生には何の意味もなくて
どこも同じような街、同じような人、同じような仕事、変わらない自分と
ただ生きて死ぬだけ。

そういえば、転職活動をしていたときにカウンセラーの方が「やりたいことがない人のほうが多いですから」って言ってた。
人生には目的もなくてゴールもなくて、退屈でどんなものがあるのか分かり切ってる、つまらない世界だ。
でも、一緒に誰かいてくれて、つまらないことでもそれを一緒にで確かめて、
意味のないことを楽しんでくれる誰かがいれば、それってすごく愛おしいことだ。
そんな人がいることは、すごく意味のあることで、素敵なことだと思った。
それがピカチュウとサトシの旅であり、全ての人が生きている世界なんじゃないかと思った。

 

 

【ラストシーンについて】
最後のシーン、正直分からなかった。
サトシがたくさんのポケモンからの一斉攻撃を受けて消えてしまうのだけど、
ピカチュウの叫びと一千万ボルトとの攻撃のあと草原?異次元から走り出すサトシがよみがえるみたいな
あれってどういう意味なのだろう。もし、良ければみなさんの解釈をぜひ聞かせてほしい。

 

 

【おわりに】
いろいろ書きましたが、僕はこの映画をみてサトシのポケモンになって愛されながら
一緒に旅に出たいなと思いました。(オイ

おわり