(華倫変を、覚えていますか?)

 

華倫変という漫画家が大好きです。

 

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連載時に読んでいませんでしたし、華倫変という名前はどこが苗字なのか、名前なのか?とか(かり↑んぺん)なのか(かり↓んぺん)なのかとかイントネーションも基本的なところからよく分からないことだらけなんですが、本当に好きで好きでたまりません。

 

普通に生活をしていても華倫変と出会う機会なんてなかなかないので、ちょっと運命的なめぐりあいでした。Twitter脱糞忍者さんという変態的なツイートをしている方がいるのですが、「俺がこんな風になったのは高校時代に華倫変を読んだからだ」みたいなことを書いていて、相当ヤバい漫画なんだろうなと興味を持ったがきっかけです。その後、吉祥寺のバサラブックスに通りかかり、なんとなく覗いた棚の一冊に「高速回線は光うさぎの夢をみるか?」を見つけて、「うわっ。こんなところで出会えるなんて」と速攻購入し、帰りの電車の中で夢中になって読みました。

 

華倫変とは

1974年生まれ。大学在学中に投稿した作品で講談社ちばてつや賞を受賞。「週刊ヤングマガジン」で作品を発表し、その後、太田出版の「マンガ・エロティクスF」で執筆。2003年に心不全のため、28歳の若さで他界しています。

 

刊行経歴

『カリクラ1講談社1998/2

『カリクラ2講談社1998/5

『カリクラ上華倫変倶楽部』太田出版2002/4

『カリクラ下華倫変倶楽部』太田出版2002/5

『高速回線は光うさぎの夢を見るか? 太田出版2002/9

『デッド・トリック! 七本署稀覯犯罪図鑑』(2003/11

『デッド・トリック! 七本署稀覯犯罪図鑑』(2003/11

 

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1998年出版の『カリクラ』は2002年の『カリクラ―華倫変倶楽部』の新装版ということも考えると寡作な作家だということを改めて実感します。『カリクラ』『高速回線は光うさぎの夢を見るか?』は短編集で『デッド・トリック! 上―七本署稀覯犯罪図鑑』のみ長編の作品となっています。

 

作風

「私は頭が悪いから…」と、憂鬱と諦念の籠った女の子の眼差しに心を掴まれます。物語の結末に救いはなく、日常を切り取ったようにありのままを描く、冷たいリアルさがあります。『カリクラ下』のあとがきで漫画に夢中になっていた時期に読んでいた漫画が、ねこぢる山本直樹だとと語っているおり、その影響は誰もが感じるところだと思います。

特に山本直樹はストーリーだけでなく画面の構成も似ています。例えば「ピンクの液体」でビルの屋上からのぞく背景の街の感じだったり、「高速回線は光うさぎの夢を見るか?」の死ぬ間際の走馬燈で記憶がフラッシュバックするコマ割りなど…。               

山本直樹の影響を強く受けている華倫変の作風を、あえて対比させることによって、その魅力に迫っていきたいと思います。

彼らの描き方を見てみましょう。女の子とエロや風景にモノローグが流れるというシーンは両者でよく描かれています。このとき、山本直樹は誰かがビデオを回しているような俯瞰で描くのに対し、華倫変はより心情を内面から描くことに特徴があります。山本直樹の作品は男性の主観であることが多く、女性の表情やそのシーンの情景で切なさがを感じます。

一方で、華倫変の作品では直接セリフとして表れる女の子の言葉に心情描写が生々しく描かれます。寂しさ、切なさ、諦め…。つぶやきのひとことひとことに、そういった感情のリアルさが満ちています。

「一日中なにをしてたらいいのかわからない…」「それなのに時間だけはただもうどんどん過ぎていくのが怖いよ…」(「映研」『カリクラ上』収録)

「苦しみっていうのはただ噛みしめるようになれていくしかないのかな」(「下校中」『高速回線は光うさぎの夢を見るか?』収録)

やりきれない気持ちが存在し、そこにある感情だけが宙ぶらりんになって物語が終わる。悲しくて切なく救いがない。ひどい物語です。でも、不思議な爽快さがあります。それは、救いのない現実をありのままに描いてくれるからなのだと思います。救いのない、現実があってもいいんだと、すこし安心に似た気持ちを抱きます。救いがないこと、それ自体が救いになるような、そんな世界。ここに華倫変の最大の魅力があるような気がします。

 

親交・影響

『デッド・トリック! 』の解説がギャグ漫画家の尾玉なみえで、少しですが親交があったようです。意外なような、意外じゃないような…。宮崎夏次系華倫変の「ピンクの液体」に影響を受けているとのことです(『MdN』2017年7月号)。窓ハルカが前に華倫変さんの作風に似せた漫画をTwitterに投稿しており、影響を受けているのではと推測しています。適当な鳥みたいなやつも、華倫変の「バナナとアヒル」にでてくるアヒルに似ているのかもなーなんて勝手に妄想してしまいます。 

  

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「高速回線は光うさぎの夢を見るか?」 

 

「今日」「私はセーラー服を着ることにしました」「まだマトモだった頃に戻れるかな?(笑)」

「これが…こうすることが私と世界との」「ギリギリの接点だっただけなのです」

 

「高速回線は光うさぎの夢を見るか?」という作品があります。

死ぬまでの100日間を掲示板に投稿する女性。そして彼女は…。というのがあらすじです。

 

南条あやのHPと「あと100日で死ぬという記述」をたんたんとネットに残して消えた男性の日記を参考にしたと語っています。内田裕也監督の「コミック雑誌なんかいらない」のセミドキュメント要素を入れて書こうしていました。このドキュメントというか断片的な記憶の描き方は山本直樹の描き方に似ています。

 

この作品は華倫変の作品のなかでも、作品のすばらしさ、それ自体とは別の意味で特殊な位置づけにあります。というのも、華倫変の死、それ自体が自殺だと言われているからです。噂でしかないのかもしれないのですが、早すぎる死がこの作品のイメージと偶然だとしても結びついてしまいます。

                                               

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参考にしているのですから、当たり前なのですが、南条あやと主人公、そして華倫変のイメージがクロスオーバーします。死と隣合わせでいることが「私と世界とのギリギリの接点だっただけなのです」と作中で主人公は語ります。幸福であったとしても、死ぬことと繋がることでしか生きられない、そんな生き方が確かに存在するのだと思います。もしかしたら華倫変もそういった人物だったのかもしれないと想像せずにはいられません。いや、誰しもそんな瞬間があるのだと思います。綱渡りのように生きると死ぬことをすれすれにふらふらと歩かなければ、生きていけないときがあるのだと思います。華倫変は、そんな生き方をちゃんと描いてくれたから、漫画を読んで安心したり爽やかな気分になったりするのかもしれません。

 

終わりに

 どこにもつながらなくなった華倫変保護倶楽部はインターネットの廃墟のような…お墓のような場所ですね。なんだか寂しくなります。

出版されているどのタイトルももう絶版で、すこしづつみんなから忘れられていくのかなぁ…と思います。いや、読んだ人には深い傷跡を残しているのかな?(笑)僕にとってはそんな本です。

 

いろいろと書きましたが、華倫変が大好きで大好きで大好きで、もう新作が一生読めないって本当に悲しいことだなー…と思います。